37歳の若さで安芸高田市の市長となり、そのエリート過ぎる経歴でも一躍有名になった石丸伸二さん。
彼の前職は銀行員ですが、その時の働きぶりもすごかった!と話題になっています。
今回は、そのエピソードを深掘りしていきます。
石丸伸二は銀行員時代もすごかった!
ニューヨークへ赴任してからは4年半にわたって『為替アナリスト』として活動しました。
その中でも『シニアアナリスト』として為替レポートなどの発行を行っています。
テレビの金融ニュースなどで、現地からレポートする事もあったようです。
前職の銀行員の時から、石井伸二さんは優秀だったようですね!
石丸伸二の銀行員時代エピソード
年間100日の出張でアメリカ大陸を飛び回る
①石丸伸二さんはNY駐在時代、『為替アナリスト』として年間約100日間の出張をこなしていました。南アメリカ大陸を担当、ブラジル、アルゼンチンなどアメリカ大陸の9か国25都市を飛び回り、それぞれの国の経済状況を分析・予測する業務に従事していました。
『為替アナリスト』とは、幅広い情報を調査・分析して金融の将来予測をするスペシャリストです。
現在も政治の道で理路整然とした発言が度々話題になっていますが、銀行員時代にもその頭脳を活かして活躍していたんですね。
②『これはそろそろ死ぬかな…』と思う過酷労働
NY駐在時は、仕事が過酷すぎて
『これはそろそろ死ぬかな…』
と思うくらいフィジカル面で大変だったそうです。
安芸高田市の市長室には当時使っていたネームプレートを置いており、それを見る度にNY駐在の激務を乗り越えた事を思い出し
『まだいける!』と奮起しているそうです。
③徹底的な仕事ぶり
石丸伸二さんは銀行員時代、
上司が部下たちの方に視線を向けた瞬間、2、3人が直ぐに駆け寄り、上司の質問や話しに間髪を入れず答えていた
と話しています。さらに銀行員はの基本姿勢として
窓口を閉めて1円でも計算が合わなければやり直し。
書類がなくなればシュレッダーから拾い集めて復元。
顧客との面談は徹底して記録化。
『信用を商売にしているのでこれくらい当然』、『政治家もこうあるべき』
と、意見しています。
これだけしっかり仕事をしていた人だから市民から支持される働き方が出来るんですね!
石丸伸二は銀行員時代に培ったメンタルで奮闘中
そんな石丸伸二さんが政治の世界に転身したのは、広い世界を見て「自分の生まれ育った場所は特別なんだ」という思いに至ったからだ、といいます。
就職で東京に出てみたら、別世界で日本とは思えないほどだった。その後、ニューヨークへ赴任してカナダからチリまでアメリカ大陸を巡る仕事を通して、世界の広さを実感しいろいろな国、いろいろな町を訪れて見ていると地元に意識が向かい、「生まれ育った場所は特別なんだと」と思いに至った 。
安芸高田市の市議会とは、居眠りを指摘して猛反発にあったりと一筋縄ではいかない様子がYoutubeなどでも公開されています。
地方都市の市議会と、生き馬の目を抜くような銀行の最前線の世界と比べると、かなりグレーな部分が多い世界だと思います。
どちらが一般市民に支持されるかというと、石丸伸二さん側である事は間違いないでしょう。
これからも頑張ってほしいですね!
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